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ウルムそしてウルム近郊

ウルム大聖堂ウルムとウルム周辺(ドイツ語の早口言葉です。訳者注)では大変な賑わいを見せていました。ドナウ川とイラー川の河畔という立地のおかげでウルムはすでに古くから交通の要衝として発展し、中世には神聖ローマ帝国直属都市として南ドイツの主導的な商業と芸術の要でした。商業と巡礼のルートはウルムを通り、ヤコブの道もクラカウ(ポーランド)から、プラハ(チェコ)を通り、ニュルンベルグ、ウルム、コンスタンツ(ドイツ)、バーゼル(スイス)、ディジョンとヴェツレイ(フランス)を経由し、サンチャゴ・デス・コンポステラ(スペイン)まで続いていました。ウルム・コンスタンツ間の巡礼の道は「オーバーシュヴァーベンのヤコブの道」と呼ばれ、往来が盛んです。

ウルムは険しいシュヴァーベンアルプス(シュトゥットガルトまで90km、ミュンヘンまで130km)の懐にあり、人口約12万人の印象的な大聖堂、入念に修復された素晴らしい旧市街を擁するのんびりした大学の町です。しかし、戦後急ピッチで建てられた建造物の罪業とも言える建物もあります。

大聖堂 - ウルムのシンボル

1377730日、当時の市長がウルム大聖堂の礎石を置きました。最も美しいゴシック様式の教会のひとつとされる大聖堂の建築が始まったのです。この新しい教会を市民の教会にしようと、外部からの資金援助を受けず、1万人に満たない市民の力だけで建てられました。この異例の敢行こそ帝国自由都市の市民であるという自負を反映したものと言えるでしょう。

100年後の年代記に「ウルムの大聖堂はキリスト教界の他のどの教会よりも訪れる人が多い。祭日には群衆がひしめき、イースターの晩餐には15,000人もが参加した。」との記述があります。この注目に値する数字は、この中世の建造物が当時いかに重要であったかを物語っています。

建築史は紆余曲折を経て、数百年にわたって計画、建築されました。ウルムが1530年に新教に転向してから、建設工事は滞りました。300年もの間、間に合わせの屋根で覆われた高さ70mの未完成の西塔が町の中心部に聳えているだけでした。そして数百年の停滞の後ついに1890年、礎石が置かれてから513年の歳月を経て、大聖堂は完成をみました。今日この町は、高く聳え、遠くからも見える世界一高い教会の塔、高さ161.60mの大聖堂の西塔によって特徴づけられています。

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